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2011/10/23

書評:平林浩著『仮説実験授業と障害児統合教教育』

『障害児教育研究13』1984年3月10日初版発行 、現代ジャーナリズム出版会 に掲載されたものです。

  平林浩著『仮説実験授業と障害児統合教教育』    伊藤 守

 本書の書名は「仮説実験授業と障害児統合教育」となっている。仮説実験授業については、その名を意識するようになって10年たつが、障害児教育についてはやっとこの四月から、かかわりをもつようになったばかりである。統合教育に至っては、その理念はおろか、その実践外にいる私が、その書評をするにふさわしいかどうか、私自身はなはだ疑問に感じる部分も多い。
 しかし、仮説実験授業にしろ障害児教育にしろ、ある意味でこの本の著者である平林さんのずっと後を追いかけてきたともいえる私のような人間にとって、この本がどのように映ったか、というのもある種の人達には参考になるかも知れないと思うので、二・三気付いた事を書いてみようと思う。
 個人的には、私と平林さんの最初の出会いは、今から八年ほど前、私が新任の高校教師として九州で行なわれた「ひと塾」に参加した時である。平林さんは覚えておられないだろうが、平林さんはその時、参加者を生徒にして(私も生徒の一人だった)、仮説実験授業の「バネと力」をていねいに、ていねいにやっておられた。なんて紳士的なやさしい先生なんだろう、というのがその時の印象である。
 でも、その平林さんのやさしさも、やさしすぎるが故に冊うまくいかないこともあるようである。
 「私は初めて一年生の担任をしたことで、まず一年生の教育について自信がなかった。そして、どうしても全盲のしのぶさんのことが気になって仕方ない。黒板に字を書いても見えないのだからと思うと、だんだん黒坂が使えなくなる。……(中略)……しのぶさんが気になって、子どもたち全体が見られない状態になり、その悪循環で、次第に自分が落ちこんでしまう結果となった。」
という。しかし、
 「職場の教師の批判などがきっかけで、二学期から、まずしのぶさんを気にせずに…クラス全体が生き生きとするような授業をつくることに意を注ぎ、実践した。
 するとおかしなもので、そういう授業をやっていくなかで、しのぶさんの姿がはっきり見えてきて、見えないというハンディキャップに対する手だても、つぎつぎに見出し、工夫できるようになってきた。」という。そこで平林さんの結論。
 「ひとつの原則。どちらに合わせるというのでなく、すばらしい授業をすること、それが普通学級でいっしょに育っていく原則なのである。」
 とはいえ、平林さんだって何もなしでただ「全ての子どもにすばらしい授業を」というわけではない。それを実現する為の強力な味方、武器となるのが仮説実験授業なのだと私は思う。
 「仮説実験授業が子どもたちに歓迎される理由はいろいろあるだろうが、そのひとっに、子どもたちがいろいろなレベルで授業をたのしむことができる授業だということがあるように思う。」
と平林さんは語っている。だからこそ、盲児であるしのぶちゃん、達彦君、脳性まひの容平君が、それぞれのクラスでみんなといっしょにやっていくことができたのだろう。仮説実験授業があったからこそ、平林さんに心の余裕が生まれ、それぞれのハンディキャップに対する手だても工夫できるようになったのだろう。
 障害児は物事を認識していく上でやはり何らかの障害があるのだろうか。
 平林さんはこの本では、「空気と水」「三態変化」「背骨のある動物たち」「ばねと力」の四つの仮説実験授業の記録をのせている。それを読んでいくと、盲児も基本的には他の子どもと同じなんだなーということがわかる。イヤ、むしろ目が見えないが故に他の子どもには見えないものが見えてくるのではないか、といった感想が出てくる。
 「空気と水」の授業書の中に、
「ジュースのかんに、ひとつだけ小さな甘をあけます。そして、さかさまにしたらジュースは出てくるでしょうか。」
という問題がある。圧倒的多数の子どもがジュースはばとぽとつづいてでてくる、という中で、盲児である達彦君の登場である。「ぼくはイ(⑳ジュースは出てこない、という予想)に○をしたんだけど、ジュースは一つしか小さなあながなくて、ほかにあながないと、空気がはいらないからジュースは出てこない」そこで、平林さんのコメント
 「達彦君の意見は理論的である。このあとの問題での意見をきいても、ひとつの筋を通そうとする。目から入る視覚的な経験がないためまどわされることが少ないのだろうか。」
 そして達彦君は、見事に″論敵″を説得し、何人かを〝味方″に引き入れることに成功しているのである。
 板倉聖宜さんによれば、「民主主義の平等の原理は一つにぺすべての人が何等かの形で社会に寄与しうるとぃうことを基礎にしている」のだという「民主主義教育としての仮説実験授業」)(『科学と方法』より、傍点は引用者)
 障害児というと、ともすれば憐れみとか同情の対象にしかならないが、この平林さんの実践-障害児も他の子ども達とは違う形にせよ、何らかの形で他の子供達に寄与できるんだ、という事実の持つ意味は大きい。
 私も対象(肢体不自由児)と立場(養護学校に勤務)は違うにせよ、仮説実験授業研究会の、そして障害児教育にかかわる一後輩として同業者として(と勝手に思っている)平林さんとその著書を語ることができることを誇りに思う。
         (東京都、養護学校教員)
▲A5判上製・280ページ・2500円、現代ジャーナリズム出版会


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